藝能としての建築
喪神の森の、つぎはぎだらけの林檎の老木、その梢にやどるもの
桃山邑
八年前。わたくしは、とうの昔にこの世を去ったユダヤ人美術史家、アビ・ヴァールブルクの思考に影響を受け、蛇、稲妻、飛行船、鏡、占星術、精神病棟などありとあらゆる視覚的挑発をフラッシュバックのようにちりばめた「メランコリア」を拵えたことがありました。そのとき机の上に置かれて、わたくしの筆に刺激を与えてくれたのはジョルジュ・ディディ=ユベルマン『残存するイメージ──アビ・ヴァールブルクによる美術史と幽霊たちの時間』と田中純『アビ・ヴァールブルク 記憶の迷宮』でした。
わたくしたちの舞台は仮設劇場にはいる前に通りすがりのひとでも観られるプロローグがあるのですが、その日、黄昏の薄い闇のなかに突如黒雲がわきおこり、稲妻が走ったのです。「黒の牙城」と名づけた野外舞台の千龝樂。スコールの予感にふるえながら開演をまちわびる観客のうしろで、ズブ濡れ芝居の顛末をおもいながら、かつて書きつけた女優の台詞が脳裏にひらめいたのです。「みるなよ!」あれは二十世紀の終わりのこと。壊される寸前の廃墟の映画館でいちどだけ上演された「昭和雨月物語」。雷鳴に追われながら不吉な街にたどりついた女主人公が最初にくちびるにのぼらせた言葉でした。イザナギ、イザナミの国産みの物語。あるいはオルフェウスの冥界降り。いずれにしても死の花嫁は、生者のまなざしに曝された瞬間に、闇のなかへ姿を隠し、もとめる者は永遠の喪失に身もだえしたのでしょう。わたくしには女たちが、畏れ、忌み、崇める、複雑に矛盾した神の使いにも思えます。なぜそんなとおりすぎたものを思い返したのか。それはきっと左右にねじれ、きしみをあげながら夜空を裂く稲妻が蛇そのものに映ったからです。気づかないままに、胸の深奥に眠らせている生まれるまえのおもいで。古代の息吹にも似た神話的な痕跡が、足のない地上の生きものをシンボリックに蘇らせたのかもしれません。野外芝居の現場として、困難にさらされているこの場面は、とてつもない古層の宗教的儀礼に根を持つ、ひとつの空間を体験しようとしているのではないかとさえ考えました。誰もみたことのない遠いむかしの夢のなかへ、わたくし自身が囚われていったのです。
1923年。分裂症の診断を下され、スイスのクロイツリンゲンにある精神病院に幽閉されていたヴァールブルクが、サナトリウムから脱けだすためにおこなった「蛇儀礼講演」によれば、「異教的古代に神として崇敬のまとになった蛇はもはや殺されるばかりで、待ち受けている運命も絶滅の危機でしかない。電線のなかに閉じこめられた稲妻、すなわち電気がつくりだした文化のあり方は、古代の異教世界を消しさってしまった。代わりにこの文化はなにを生みだすのだろう。森羅万象はもはや人間や他の生き物に見立てられたりすることはなく、スイッチひとつで人間の思いのままあやつれる波動でしかない。機械文明は神話からうまれた自然科学が苦労して得たもの、つまり宗教的儀礼の空間をくぐって積みかさねた思考空間を破壊してしまう」のだそうです。世紀を跨いで、芝居のけもの道を歩きつづけてきたわたくしの物語への関心は、人類がたどってきたさまざまなディアスポラの旅をさかしまに追いかけたはてに、根源的な宇宙、いわば此の世の始原へとむかうものらしいと得心したのです。存外百年ちかいむかしの思索に連結していたのだと不思議なこころもちでした。合理と非合理のあいだによこたわる矛盾を解きあかそうとする哲学的思考は「演劇」という領域にとってはあまり興味をうごかされない分野なのでしょうが、「演劇」よりも「芝居」という語感に、自分たちの存在の、より近い親和をうけとめてきた役者徒党にとっては避けてとおることのできない航海の難所でもあったのです。「メランコリア」のプロローグは案の定はげしい雷雨に中断=不能を余儀なくされ、「みるなよ!」の戒めのごとく慌てて観客を劇場内へとみちびき入れたものでした。呪術的テーマとの格闘を経て、ここ数年の思考空間の集大成のような舞台だったのです。
ヴァールブルク、ユベルマン、田中純。わたくしが敬愛し、水族館劇場のメッセージのもっとも深い場所からの発信となった芝居で縁をあやなしたひとびとが、数年後再会をはたすかのように連環しあう知の現場に招かれたことを光栄に思います。しかし、わたくしたちはヴァールブルクが死をむかえる際に夢みた、接ぎ木された、まがいものの、林檎の樹に咲いた可憐な花のようなものかもしれません。彼の晩年に研究所のスタッフとなったゲルトルート・ビング女史は追憶します。──庭に枯れた林檎の木があり、截られることになっていたが、ヴァールブルクが反対したのだった。ヴァールブルクが死んだ年の十月の末に、この老木が不意に、訳のわからないまま花を咲かせた。書き付けられた日記の最後の言葉は死の翌朝に発見される。「だれが私に賛歌を歌ってくれるのだろうか、かくも遅れて咲いた林檎の木を褒めたたえる歌を?」──つぎはぎだらけの、にせもの、というイメージはわたくしたちにとって(ほんとうは芝居にとってと言い換えたい)かけがえのないものです。物語はすべからく虚構であり、嘘のなかから一瞬だけ顕現する、真実のようなものが、わたくしたちの拠りどころですから。つぎはぎ、という観念はちょっとマイナスの面があるかもしれませんが、集団(劇団)という現象そのものが、いわば、ひとりひとりの観念の縒りあわさった、接ぎ木のようなものなのです。どこからどこまでが、此の世のことで、なにからなにまでが、夢の世界のことなのか。庭師の手先にぶらさがったまぼろしは、死の花嫁をこの手に抱くことを仕損じたオルフェのように儚く、断念の谷間に堕ちてゆく、あえかな花びら、みたいなもの。わたくしはこの花びらを掌に掬い、ふたつの世界を渉る、秘密の回廊をはりめぐらすのが芝居者の仕事のひとつとこころえているのです。
さて本日は、わたくしの生業である建築と、虚業である藝能の不可思議な関係について、お話しようと思います。どう考えても結びつかないような領域こそ横断し、接続する価値があるのではないかと思えるようになったのはこの十年ほどのことです。わたくしは芝居(藝能)の本体のこととじぶんのなりわいにも関係の深い寄せ場といわれるスラム街のなりたちを考えてきました。釜ヶ崎=飛田遊廓=天王寺動物園。山谷=吉原=上野恩賜動物園。この九月に予定されている横浜寿町の周辺にもかつては港崎(みよざき)遊郭、げんざいは日ノ出町や黄金町に性風俗の店が軒を連ねます。それから野毛には動物園。寄り添うように、それぞれの街に浪速クラブ、浅草木馬館、三吉演芸場という大衆芝居の小屋がある。はげしい肉体労働やエロスや獣のもつ穢れのタブーは管理することが困難だったがために、為政者が柵地のように隔離したのではないでしょうか。これらは悪場所として認知されていました。そして寄せ場労働者とは建築労働者のことにほかなりません。くわえてこれらの下層に蝟集するひとびとは故郷喪失者とでもいうべき流動性を強く持つ。建築の、上層ではなく末端の現場労働者こそ、もっとも藝能の本体に近い存在なのではないかと考えるようになったのです。彼らが労働者であると同時に他者に化ける役者であって、なんの違和があるでしょう。「演劇」行為とはほど遠い、ほとんど建築労働といえる仮設小屋を建て、そこでみずからが舞い踊る役者徒党の存在の意味はそれほど軽くありません。
水族館劇場に集ってくるのは「演劇」的上昇を志向するひとびとではありません。青春におとずれる、なづけようもないひとつの欲望につきうごかされて、蛇のような航路を迷いながら、ゆっくりとこの社会の埓外にこぼれていったようなひとがほとんどです。これは全体なにを示唆するのでしょうか。ずっと考えあぐねてきた問題に答えをみちびきだすためにも、わたくしは芝居を拵えつづけようと考えています。アンダーグラウンド演劇と呼ばれる一群の潮流から意志的に離れて、いわば脱領域の相互侵犯があたらしい関係を呼び寄せるように。とるにたらない者、この世に用なき者、汚辱にまみれた生を歩む者。今回の野戦攻城は、暗黒に漂う舟から幽霊たちを招き寄せ、得体のしれない時代の暗雲に抵抗をしめす反撃にちがいない。冥府まで秘匿しつづけようとしたものを、芸術の祭典といわれる領野にさらしてみようと思いたったのです。ほんらいはもっと、ふさわしい誰かがいるはずなのに、誰も手をつけなかった謎。演技を上達させることを拒む精神を存在根拠にする役者に、演技が下手という一太刀をあびせて、かえりみようとしなかった批評の態度。人間の組み上げてきた世界がゆっくりと瞼をとじてゆくかのようなこの時代のへりに、野生=異教的古代の痕跡をどこかに残存させている役者集団が「演劇」あるいは「芸術」本流のカウンターとして登場するのは必然にも感じたのです。曲馬館からはじまり、驪團(りだん)、水族館劇場と遍歴して野生の劇場を組み上げてきた、わたくしの思いをお話しておくのも、此処からいろんな思考や実践があらたに船出してくれればという願いからです。それを奪い尽くされた者の蜂起と呼んでもかまいません。そして蜂起はこの世の下層に棲息する者だけではなく、こころざしを重ねることが可能な叡知との、かけがえのない関係性が編まれたときに生命を吹き込まれるのだと確信しています。この世界を1ミリでも動かすために。本日の集結が、その第一歩になるならば現代河原者としてこれ以上のよろこびはありません。
八年前。わたくしは、とうの昔にこの世を去ったユダヤ人美術史家、アビ・ヴァールブルクの思考に影響を受け、蛇、稲妻、飛行船、鏡、占星術、精神病棟などありとあらゆる視覚的挑発をフラッシュバックのようにちりばめた「メランコリア」を拵えたことがありました。そのとき机の上に置かれて、わたくしの筆に刺激を与えてくれたのはジョルジュ・ディディ=ユベルマン『残存するイメージ──アビ・ヴァールブルクによる美術史と幽霊たちの時間』と田中純『アビ・ヴァールブルク 記憶の迷宮』でした。
わたくしたちの舞台は仮設劇場にはいる前に通りすがりのひとでも観られるプロローグがあるのですが、その日、黄昏の薄い闇のなかに突如黒雲がわきおこり、稲妻が走ったのです。「黒の牙城」と名づけた野外舞台の千龝樂。スコールの予感にふるえながら開演をまちわびる観客のうしろで、ズブ濡れ芝居の顛末をおもいながら、かつて書きつけた女優の台詞が脳裏にひらめいたのです。「みるなよ!」あれは二十世紀の終わりのこと。壊される寸前の廃墟の映画館でいちどだけ上演された「昭和雨月物語」。雷鳴に追われながら不吉な街にたどりついた女主人公が最初にくちびるにのぼらせた言葉でした。イザナギ、イザナミの国産みの物語。あるいはオルフェウスの冥界降り。いずれにしても死の花嫁は、生者のまなざしに曝された瞬間に、闇のなかへ姿を隠し、もとめる者は永遠の喪失に身もだえしたのでしょう。わたくしには女たちが、畏れ、忌み、崇める、複雑に矛盾した神の使いにも思えます。なぜそんなとおりすぎたものを思い返したのか。それはきっと左右にねじれ、きしみをあげながら夜空を裂く稲妻が蛇そのものに映ったからです。気づかないままに、胸の深奥に眠らせている生まれるまえのおもいで。古代の息吹にも似た神話的な痕跡が、足のない地上の生きものをシンボリックに蘇らせたのかもしれません。野外芝居の現場として、困難にさらされているこの場面は、とてつもない古層の宗教的儀礼に根を持つ、ひとつの空間を体験しようとしているのではないかとさえ考えました。誰もみたことのない遠いむかしの夢のなかへ、わたくし自身が囚われていったのです。
1923年。分裂症の診断を下され、スイスのクロイツリンゲンにある精神病院に幽閉されていたヴァールブルクが、サナトリウムから脱けだすためにおこなった「蛇儀礼講演」によれば、「異教的古代に神として崇敬のまとになった蛇はもはや殺されるばかりで、待ち受けている運命も絶滅の危機でしかない。電線のなかに閉じこめられた稲妻、すなわち電気がつくりだした文化のあり方は、古代の異教世界を消しさってしまった。代わりにこの文化はなにを生みだすのだろう。森羅万象はもはや人間や他の生き物に見立てられたりすることはなく、スイッチひとつで人間の思いのままあやつれる波動でしかない。機械文明は神話からうまれた自然科学が苦労して得たもの、つまり宗教的儀礼の空間をくぐって積みかさねた思考空間を破壊してしまう」のだそうです。世紀を跨いで、芝居のけもの道を歩きつづけてきたわたくしの物語への関心は、人類がたどってきたさまざまなディアスポラの旅をさかしまに追いかけたはてに、根源的な宇宙、いわば此の世の始原へとむかうものらしいと得心したのです。存外百年ちかいむかしの思索に連結していたのだと不思議なこころもちでした。合理と非合理のあいだによこたわる矛盾を解きあかそうとする哲学的思考は「演劇」という領域にとってはあまり興味をうごかされない分野なのでしょうが、「演劇」よりも「芝居」という語感に、自分たちの存在の、より近い親和をうけとめてきた役者徒党にとっては避けてとおることのできない航海の難所でもあったのです。「メランコリア」のプロローグは案の定はげしい雷雨に中断=不能を余儀なくされ、「みるなよ!」の戒めのごとく慌てて観客を劇場内へとみちびき入れたものでした。呪術的テーマとの格闘を経て、ここ数年の思考空間の集大成のような舞台だったのです。
ヴァールブルク、ユベルマン、田中純。わたくしが敬愛し、水族館劇場のメッセージのもっとも深い場所からの発信となった芝居で縁をあやなしたひとびとが、数年後再会をはたすかのように連環しあう知の現場に招かれたことを光栄に思います。しかし、わたくしたちはヴァールブルクが死をむかえる際に夢みた、接ぎ木された、まがいものの、林檎の樹に咲いた可憐な花のようなものかもしれません。彼の晩年に研究所のスタッフとなったゲルトルート・ビング女史は追憶します。──庭に枯れた林檎の木があり、截られることになっていたが、ヴァールブルクが反対したのだった。ヴァールブルクが死んだ年の十月の末に、この老木が不意に、訳のわからないまま花を咲かせた。書き付けられた日記の最後の言葉は死の翌朝に発見される。「だれが私に賛歌を歌ってくれるのだろうか、かくも遅れて咲いた林檎の木を褒めたたえる歌を?」──つぎはぎだらけの、にせもの、というイメージはわたくしたちにとって(ほんとうは芝居にとってと言い換えたい)かけがえのないものです。物語はすべからく虚構であり、嘘のなかから一瞬だけ顕現する、真実のようなものが、わたくしたちの拠りどころですから。つぎはぎ、という観念はちょっとマイナスの面があるかもしれませんが、集団(劇団)という現象そのものが、いわば、ひとりひとりの観念の縒りあわさった、接ぎ木のようなものなのです。どこからどこまでが、此の世のことで、なにからなにまでが、夢の世界のことなのか。庭師の手先にぶらさがったまぼろしは、死の花嫁をこの手に抱くことを仕損じたオルフェのように儚く、断念の谷間に堕ちてゆく、あえかな花びら、みたいなもの。わたくしはこの花びらを掌に掬い、ふたつの世界を渉る、秘密の回廊をはりめぐらすのが芝居者の仕事のひとつとこころえているのです。
さて本日は、わたくしの生業である建築と、虚業である藝能の不可思議な関係について、お話しようと思います。どう考えても結びつかないような領域こそ横断し、接続する価値があるのではないかと思えるようになったのはこの十年ほどのことです。わたくしは芝居(藝能)の本体のこととじぶんのなりわいにも関係の深い寄せ場といわれるスラム街のなりたちを考えてきました。釜ヶ崎=飛田遊廓=天王寺動物園。山谷=吉原=上野恩賜動物園。この九月に予定されている横浜寿町の周辺にもかつては港崎(みよざき)遊郭、げんざいは日ノ出町や黄金町に性風俗の店が軒を連ねます。それから野毛には動物園。寄り添うように、それぞれの街に浪速クラブ、浅草木馬館、三吉演芸場という大衆芝居の小屋がある。はげしい肉体労働やエロスや獣のもつ穢れのタブーは管理することが困難だったがために、為政者が柵地のように隔離したのではないでしょうか。これらは悪場所として認知されていました。そして寄せ場労働者とは建築労働者のことにほかなりません。くわえてこれらの下層に蝟集するひとびとは故郷喪失者とでもいうべき流動性を強く持つ。建築の、上層ではなく末端の現場労働者こそ、もっとも藝能の本体に近い存在なのではないかと考えるようになったのです。彼らが労働者であると同時に他者に化ける役者であって、なんの違和があるでしょう。「演劇」行為とはほど遠い、ほとんど建築労働といえる仮設小屋を建て、そこでみずからが舞い踊る役者徒党の存在の意味はそれほど軽くありません。
水族館劇場に集ってくるのは「演劇」的上昇を志向するひとびとではありません。青春におとずれる、なづけようもないひとつの欲望につきうごかされて、蛇のような航路を迷いながら、ゆっくりとこの社会の埓外にこぼれていったようなひとがほとんどです。これは全体なにを示唆するのでしょうか。ずっと考えあぐねてきた問題に答えをみちびきだすためにも、わたくしは芝居を拵えつづけようと考えています。アンダーグラウンド演劇と呼ばれる一群の潮流から意志的に離れて、いわば脱領域の相互侵犯があたらしい関係を呼び寄せるように。とるにたらない者、この世に用なき者、汚辱にまみれた生を歩む者。今回の野戦攻城は、暗黒に漂う舟から幽霊たちを招き寄せ、得体のしれない時代の暗雲に抵抗をしめす反撃にちがいない。冥府まで秘匿しつづけようとしたものを、芸術の祭典といわれる領野にさらしてみようと思いたったのです。ほんらいはもっと、ふさわしい誰かがいるはずなのに、誰も手をつけなかった謎。演技を上達させることを拒む精神を存在根拠にする役者に、演技が下手という一太刀をあびせて、かえりみようとしなかった批評の態度。人間の組み上げてきた世界がゆっくりと瞼をとじてゆくかのようなこの時代のへりに、野生=異教的古代の痕跡をどこかに残存させている役者集団が「演劇」あるいは「芸術」本流のカウンターとして登場するのは必然にも感じたのです。曲馬館からはじまり、驪團(りだん)、水族館劇場と遍歴して野生の劇場を組み上げてきた、わたくしの思いをお話しておくのも、此処からいろんな思考や実践があらたに船出してくれればという願いからです。それを奪い尽くされた者の蜂起と呼んでもかまいません。そして蜂起はこの世の下層に棲息する者だけではなく、こころざしを重ねることが可能な叡知との、かけがえのない関係性が編まれたときに生命を吹き込まれるのだと確信しています。この世界を1ミリでも動かすために。本日の集結が、その第一歩になるならば現代河原者としてこれ以上のよろこびはありません。
✴︎ 本原稿は、東京大学大学院表象文化論研究室主催のシンポジウム「蜂起/野戦攻城2017@駒場──「出来事」(として)の知」(2017年7月29日)のパンフレットのために書き下ろされたものです。